2007 - 9 /18
ひとり
孤絶

孤独

孤高

ひとりを見るのは寂しいな。
ひとりでいるのは寂しくないのに。
「ひとり」を表す言葉の豊富さに驚きました。
それぞれの言葉の、色や温度のちがいを感じ取れるということは、とても幸せなことだと思いました。
国語の成績は良くなかったけど。
投稿者 hamayo : 2007年9月18日 22:20
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hamayoさんこそ孤高の人という感じがします。
「孤高の人」は中学校の友達(のオトン)から借りっぱなしで、返さないまま今に至ります。
というか、新田次郎の書いた本のほとんどを持ってるけど、全部この友達(のオトン)から借りっぱなしの本だったり・・・。
加藤文太郎からぼくは強い影響を受けて育ちました。
郷土の英雄であることをまったく取り去っても、彼へのあこがれが曇ることはありませんでした。
なので自分が「孤高の人」と評されるのは、ほんとうに身に余る光栄です。
一昨年の暮れ、インターネットの接続速度について検索していて、このブログの存在を知りました。
私は、全くのプライベート使用として、レンタルサーバを借りてブログを開設しているのですが、Movabl Typeを使っている事と、sakuraを利用していると言う理由から、余計に親近感を覚えるのかも知れません。
これからも、楽しみにしています。
簡単な自己紹介を!
44歳、独り者、母親と二人暮らし。
今日、ジョナゴールド という品種の林檎の収穫が終わりました。あとは、来月初旬のふじ の収穫が終われば出稼ぎです。
八甲田山は一週間ほど前に初冠雪がありました。
岩木山の山頂が白くなるのも間もなくです。
はじめまして、sansiroseさん。
リンゴを育ててらっしゃるのですね。
今年は 5号と9号の二つの台風が青森県を通過しましたが、被害はありませんでしたか?。
台風一つ取ってみても、津軽海峡を隔てただけの青森県と北海道では、受ける影響の差はとても大きいですよね。
北海道が台風から大きな被害を被ることは、ほとんどありませんもの。
それでも 2004年の18号の時は未曾有の打撃を受けました。
余市町や仁木町では、リンゴやさくらんぼの木がこてんぱんにやっつけられ、離農する方たちも少なくありませんでした。
人がいなくなってうち捨てられたリンゴの木にも、毎年初夏になると花が咲いています。
いよいよ冬も間近ですが、お体に気をつけて収穫をを終わらせ、出稼ぎから帰ってきたらまた来年おいしいリンゴを実らせてください。
ぼくのBlogは 週に一回くらいしか更新してませんが、お越しになったときはまた気軽にコメントお寄せ下さい。
孤独は山にはなく、街にある。
一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にある。
{三木清 人生ノート より}
なるほどと思いました。
ちなみに私が感じた中で、最も孤独な雰囲気を漂わせていた人は、北勝力です!!
根拠は乏しいんだけど、孤独が山にあると考えるのは、もしかすると日本人特有(あるいは、アジア特有)の考え方かもしれないな、と思ったことはあります。
一つの部屋の中に自然と街が一緒くたになって存在しているのと、自然の部屋と街の部屋の二つの部屋があるというのと、二つの考え方があると思うのですが、日本人の場合たぶん前者のほうがしっくりとくるんじゃないかなぁ。
そして「山」は、後者の場合「自然」の部屋の中にそれは含まれるのですが、前者の場合それは、自然の一部でありながらも、自然を越えた向こう側にあって自然を取り囲んでいる存在でもある、という気がします。
一部でありながら全体でもある、というわけですね。
それらも含めて、「孤独は山にも街にもないし、山にも街にもある。孤独は孤独を思う人の中にある」というのがぼくの考えです。
北勝力は浮き沈みが激しいですよね。
表情も乏しいですし。
朝青龍に勝ったときはどんな顔をしてたんだろう?